謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」書評

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 激しくネタバレしています。ご注意願います。また、ノルウェイの」のネタバレ言及がありますので、ご注意願います。
 
 (この小説に謎はありません。謎は小説内で解かれています。「いや、ここがわからん。」という方はコメント欄に質問願います。)
 
 愛する人を失ったとき、残された人間はどう生きれば良いのか?そんな重大な悲劇ではなくても、現実世界で生きていくのがつらい人間はどう生きればいいのか?
 いろいろな解答があるのでしょうが、想像の世界に生きるという選択枝があります。想像の世界は「自分の世界」です。想像の世界では愛する人は死なず永遠に生き続けます。想像の世界に羽ばたけばつらいことも忘れられます。
 

小説家は想像の世界を書くのが仕事です。だから、想像の世界に生きることの危険性を知っています。向こう側に行ったら戻って来られないのかも知れないのです。

だから村上春樹は、いや村上春樹に限らずほとんどの小説家は、異界に行っても戻ってくる小説を書きます。はじめからファンタジー世界の小説は除きます。ファンタジー世界の住人は、彼らにとってそれが現実世界です。

この小説は特異です。村上春樹作品の中でも特異な作品です。主人公は「想像の世界」を受け入れます。

 

「ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ」

 

この小説を例えば、「世界の終り」の「影」は意識と身体、「僕」は無意識などと解釈することもできるでしょうし、ユング心理学等を使って細かく分析することも可能でしょう。でも、あまり意味があるとも思えません。シンプルに「世界の終り」は「僕」の想像世界、「僕」が現実から逃避した世界だと考えていいと思います。

 

「僕」自身の想像の世界で、直子と僕は出会います。しかし、彼女には心がありません。彼女は僕の想像でしかないからです。僕も記憶を失っています。記憶がこの小説のキーワードです。一角獣の頭骨の意味を知り、直子の記憶を僕はかき集めます。僕が記憶を取り戻すことによって、彼女は心を取り戻し、僕の記憶の中で彼女は生き続けます。

 

この小説は特別な作品です。はじめて(だと思います)村上春樹が「想像世界」に留まることを肯定した作品だからです。しかし、その肯定は非常に消極的です。「想像世界」に留まることを本当に肯定していいのか、作者が非常に迷っているのがわかります。想像の世界が危険なことを良く知っているからです。

 

しかし、そのようなぎりぎりの地点でしか生きられない人間が確かに存在するのです。そのような人間にとってこの小説は福音です。村上春樹の他の小説が消えて忘れ去られても、いつの時代でもこの小説を必要とする人たちはいます。いつまでも残しておかなければいけない小説だと思います。おそらく、作家の村上春樹自身が思っているよりも、この小説の意味は重大なものです。

 

この小説は「直子が自殺をせずに生き続けるためにはどうしたらよかったのか」に対する答えでもあります。彼女は、想像の世界で生きるのです。(「僕」の想像の中でという意味ではなく、彼女自身の想像世界の中で彼女とキズキが永遠に生き続けるのです。)しかし、現実から背を向けて死者との想像の世界に生きることにどんな意味があるのでしょう。そんな生は無意味だという声もあるかと思われます。いいえ、そんなことはありません。その答えは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の続編とも言われる「海辺のカフカ」に書かれています。

 

小説の最後の部分について補足します。最後に主人公は「世界の終り」に留まり、影は現実世界へ脱出しますが、この選択が、唯一主人公が現実世界で生き残れる選択でした。

 

仮に主人公が影と一緒に「世界の終り」の外へ脱出すれば、「普通は」現実世界に戻れます。しかし、この主人公は第一回路へのジャンクションが焼き切れている状態です。現在の主人公の頭の中は、意識が現実世界の回路に戻るジャンクションが存在しません。このため、主人公が水のたまりに入っても出口はなく溺れて死にます。影は現実世界の身体です。だから、現実世界で肉体が生きている限りは現実世界へ戻れます。とすると、現実世界ではどうなるのか。現実世界の「僕」の意識は死に、身体は生きているわけですから、主人公は脳死状態になります。主人公が脳死状態になってしまうと、いかに博士でも主人公を回復させることはできません。

 

主人公と影が一緒に「世界の終り」に留まる選択をした場合、衰弱した影は冬を越すことなく死にます。これは現実世界での肉体の死を示します。肉体が死んでしまえば、もちろん主人公は現実世界で死にます。「世界の終わり」で主人公は「永遠」に生き続けるのかもしれませんが、これは博士が解説したとおり死ぬまでの一瞬を無限に分割し続けることによって「永遠」を生きるということにすぎません。アキレスが永遠に亀を追い抜けない詭弁的世界です。

 

主人公が「世界の終り」に留まり、影が現実世界に脱出することで、主人公の意識は第三回路の中で生き続けます。影が現実世界に戻ることによって肉体の衰弱は止まります。外から見ると主人公は脳死状態に見えるかもしれませんが、脳は死んではいません。第三回路で生きているのです。太った娘が彼を冷凍睡眠で保存し、そして将来博士が第一回路に戻ることができるジャンクションを脳に作る方法を発明して、彼に施術すれば主人公は現実世界に戻ることができます。

 

 しかし、この後日談は語られることはないでしょう。この小説にとって重要なのは、「世界の終り」に主人公が留まることを決断したことであって、この決断の重大さの前には、後日主人公がどうなるかは(重要なことなのですが、比較してしまうと)あまり重要なことではありません。 

 

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