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謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「スプートニクの恋人」書評②~「欠落部分」を想像する

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*激しくネタバレしています。「ねじまき鳥クロニクル」への言及があります。

 

 それでは、今回はこの小説の「欠落部分」は何であるかを検討してみたいと思います。


「欠落部分」を解き明かす鍵として、すみれの残した2つの文書があります。
 第1の文書は、この小説では関連して語られている部分がありません。第2の文書は、彼女が「蒸発」した直接の動機(「あちら側」へ行ってミュウの半身を取り戻す)であろうと考えられます。しかし、どちらも彼女が残した文書であることを考えると、第1の文書も「欠落部分」を埋める大きな鍵になることは間違いありません。そして、第1の文書と第2の文章は繋がっています。

 

 第1の文書で語られる「夢」の内容は「『実の母親』だとされてきたすみれの母親は、本当は『実の母親』ではない」ということです。すみれは、自分の両親が自分に全く似ていないことから、薄々自分の両親は「実の両親」ではないのではないかと思っており、それが夢に出てきたのだと思われます。
 この第1の文書と第2の文書を繋げて考えると、ひとつの結論が出ます。それは、ミュウはすみれの実の母親なのだということです。そして、この小説の「欠落部分」は以下のようであると想像できます。

 

            ☆    ☆    ☆

 

 当時17歳だったミュウは、性的に奔放な生活(「ずいぶん自由にセックスを楽しんだ時期もあった」)を送っていました。やがてその当時のボーイフレンドの子を彼女は妊娠します。すみれの父親にあたる人間は、ありそうなパターンとしては妻子のある男だったと考えられます。(また、すみれの父親はフェルディナンドに面影がよく似ていたのではないかと思われます。)

 

 17歳のミュウは中絶したくはなかったけれど、シングルマザーになって子供を育てて、ピアノの道をあきらめることも嫌でした。そのとき、おそらくすみれとミュウが初めて会った結婚式の時の従妹の親から(ミュウと、彼あるいは彼女はその当時から親しかったのだと思われます。)、自分の兄あるいは弟の夫婦が養子を欲しがっており、生まれてくる赤ちゃんを彼らの子供として引き取りたいという話をされます。彼の妻は心臓に生まれつきの構造的欠陥があり、体が弱く子供が産める体ではなかったのです。(すみれが父親に全然似ていないということが強調されていることから、すみれが父親とミュウのあいだの子供であるという可能性は無いと思われます。)
 ただし、子供を引き取る以上この子は「実の子」として育てたいので、ミュウが実の母親と名乗り出てはいけないし、子供にも会ってはいけないことが条件とされました。
 ミュウは生まれた赤ちゃんを、現在のすみれの父親とその時の妻に引き取らせます。彼女は自分の子供を捨てて、ピアノの道を選びました。

 

 そうして8年後、ミュウは自分が捨て去った「過去」に復讐されます。性的に奔放な自分、妻子ある男と付き合って生まれた子供、そうした過去の自分を捨て去り封印して、彼女は新しい人生を送っていました。しかし、「過去の自分」自身に「自分の過去を忘れるな」ということを突き付けられます。フェルディナンドとの出会いが「過去の自分」を呼び覚まします。おそらく、フェルディナンドがすみれの父親に似ていたことがきっかけだったと思われます。フェルディナンドは「ねじ緩め鳥」(「ねじ緩め鳥」については(ねじまき鳥クロニクル」書評①)をご覧ください)です。なぜ、彼が彼女と出会い、彼女の「ねじを緩めた」かはわかりません。彼は、たまたま彼の力を行使できる人間を見つけたことで「気まぐれ」でその力を使ったような気がします。「ねじ緩め鳥」が彼女の封印した「過去の自分」を引き摺り出したのです。「過去の自分」は、彼女の半分と「わたしの黒い髪と、わたしの性欲と生理と排卵と、そしておそらくは生きるための意志のようなもの」を奪い去り、「あちら側」へ消えてしまいました。彼女は自分が封印した「過去」に復讐されます。

 

 そして月日は流れ、すみれが22歳になったときに、ミュウは、すみれの父親にすみれの面倒をみたいと話します。今までの罪滅ぼしの意味なのかもしれません。すみれを引き取ったとき、ミュウが実の母親と名乗り出ないことを条件としていた父親でしたが、すみれも成人し、先妻も亡くなってからしばらくたちます。父親は、そろそろ真実を打ち明ける時期にあるのではないかと考えます。しかし、突然今まで両親と思っていた人間が「実の両親」ではなく、本当の母親(と父親)が別にいると話すとすみれのショックは大きいです。とりあえず、はじめは親子であると名乗らずにミュウとすみれが知り合ってもらい、親しくなってから打ち明けた方がよいと父親は考えたと思われます。しばらくの間親子であることは打ち明けないことを約束して、父親はミュウとすみれを引き合わせることにします。

 

 2人が顔を合わせたのは、すみれの従妹の結婚式です。このシーンをはじめ読んだ時に違和感を抱きました。なぜ、すみれと父親は一緒のテーブルにいないのでしょうか。また、結婚式では普通親戚の席はひとかたまりになることが多いのに、なぜ親戚ではないミュウがすみれの隣の席なのでしょうか。すべてはすみれの父親と(ミュウの友達である)父親の兄弟(あるいは姉妹)が、ミュウとすみれを引き合わせるためにセッティングしたことでした。


 ミュウに髪を触れられたときに、すみれは、初めて湧き上がる感情に戸惑います。それは、実は「母に対する思慕の情」でした。彼女の本能は、事実を知らないまま彼女を「母」と感じ、思慕の情をかきたてたのです。これは、すみれが一度も感じたことがなかった感情でした。しかし、今まで恋愛感情や性欲を理解していなかったすみれは、この初めての感情を恋愛感情あるいは性欲であると勘違いします。

 

 すみれは、ミュウの会社に勤めることになり、そしてイタリア、フランスへ行きます。フランスでミュウは「過去の告白」をしますが、もちろんこれが「告白」の全てではありません。次に、彼女らはギリシャの島へ行きます。そこで、すみれの「告白」があり、その後すみれは「蒸発」します。

 

 すみれは、その夜「ぼく」のときと同じく音楽に引き寄せられて、山の上へ行き「あちら側」へ行ってしまいました。音楽が流れている間「あちら側」の扉が開いていました。猫が木の上で煙のように消えてしまったエピソードで分かるように、この小説世界では「あちら側」への扉は思わぬ所で開いています。

 

「あちら側」へ行ってしまったすみれは、記憶を失います。そして、当てどもなく「あちら側」の世界をさまようことになります。すみれの記憶を取り戻したきっかけは、「ぼく」がすみれを待っていることが「あちら側」に行ったすみれに分かったからだと思われます。時期的には「ぼく」が「ガールフレンド」との関係を清算したあたりになるかと思います。記憶を取り戻したすみれは、「あちら側」のミュウ(以下、単に「ミュウ」と書きます)を探し当て、彼女達は出会います。

 

 ミュウは、すみれが自分の娘であることを告白します。彼女は、自分の娘であるすみれを捨てました。そのことによって、ミュウは「過去」から復讐を受け、その半身は「あちら側」に行ってしまいまいました。その「あちら側」のミュウが自分なのだと彼女は言います。そして、過去の罪の意識が「あちら側」の牢獄に彼女自身を閉じ込めたのだと彼女は話します。

 ミュウは、すみれに罪を告白し懺悔します。すみれは、彼女の懺悔を受け入れて彼女を赦します。

 

 自分と一緒に「こちら側」に戻らないかと言うすみれに、ミュウは首を振ります。自分は「あちら側」に長くいすぎてしまったため、もはや「こちら側」に戻ることはできないと彼女は話します。ただ、彼女はすみれに「自分のことを覚えておいてほしい」と願いを言い、彼女はその約束を守ることを誓います。

 

 そして、すみれは思わぬ再会をします。あの、木の上に留まってそのまま煙のように消えてしまった猫とです。猫もまたこの世界に迷い込み「あちら側」のミュウに拾われ飼われていたのでした。猫はすみれに渡され、猫と一緒に彼女は「こちら側」へ帰ります。

 

 「こちら側」への帰り道はミュウが教えてくれたのでしょうか?あるいは、「電話ボックス」は「あちら側」と「こちら側」の境目にあり、2つの世界の出入口なのかもしれません。彼女が、「ぼく」に電話をかけて「告白」し、「ぼく」がそれを受け入れることで、「あちら側」と「こちら側」の通路が開き、すみれは「こちら側」に戻ることができたということかもしれません。すみれは「ぼく」に電話をかけます。「ぼく」が彼女を「夢」の中で待ち続けたから「あちら側」で彼女は記憶を取り戻し、そしてこちら側に帰ってくることができたのです。

 

 今までのすみれの人生は、地に足がついていないものでした。自分の両親が本当は「実の両親」ではないのではないかという思いが、彼女がこの世界で寄る辺のない不安定な気持ちにさせました。だから、彼女はどんな小説を書いても最後まで書き切ることができませんでした。彼女は「あちら側」に行くことで真実を知り、自分の「ルーツ」を見付けることができました。このことによって、初めて彼女は「現実」にしっかり足をつけることができました。それは彼女の再生を意味します。

 

(猫との再会は「想像」というより「創作」です。ただ、猫の失踪の話にはなんらかのオチがつけられるべきなような気がしましたので、書いてみました。)

 

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)