謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「海辺のカフカ」書評②

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

2.佐伯さん

ノルウェイの森」、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」へのネタバレを含む言及があります。ご注意願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)佐伯さんは、カフカくんの実の母なのか?
「佐伯さんは、カフカくんの実の母なのか?」というのが、この小説の大きな謎のひとつとなっています。結論から言うと、佐伯さんは主人公の実の母親ではありません。この小説のテーマは、父からの呪いをいかに現実に成就させず、乗り越えていくのかということです。そのためには呪いから逃げるのではなく、メタフォリカルに呪いを遂行することで、呪いを打破していかなければなりません。現実に呪いを遂行した場合は、呪いの成就であり、呪いに敗北したということになります。

「呪いの打破のための物語」というこの小説の構造上、佐伯さんは実の母親ではありえません。しかし、彼女が他人であることをカフカくんに言ってしまうと、それは他人であるという「事実」で確定してしまい、メタファーとして機能しなくなります。このため、佐伯さんは、カフカくんの仮説を仮説のままで閉じ込めておくしかありませんでした。

 佐伯さんの過去について書かれた書物は、すべて燃やされて不明になってしまいました。しかし、佐伯さんはおそらく自分の子供を捨てた過去があります。彼女はその罪を背負って生きていました。カフカくんに許されることで、佐伯さんは自分の罪をゆるされます。罪を背負った人間と呪いを背負った人間が出会い、交わります。少年は母を赦し、母は息子の呪いを浄化します。

(2)「海辺のカフカ」の絵と歌
 「海辺のカフカ」の絵と歌は「予言」です。佐伯さんは19歳のころから、この物語の未来を予言していました。「海辺のカフカ」の絵が描かれたのは12歳のときですから、予言はもっと昔から機能していたことになります。彼女の作った歌は絵から読み取ったもので、2つのコードは「あちら側」の世界から手に入れたものでしょう。そして、全ては絵と歌の予言のとおりに物語は進みます。

 15歳の少女の佐伯さんは、今の恋人との閉じられた世界がいつまでも続くことを願いました。そのとき入り口の石(扉)が偶然開きます。(「あちら側」の佐伯さんが15歳であることから、入り口の石が開いたのは佐伯さんが15歳の時だと分かります。)入り口を開いたきっかけは小説には書かれていませんが、彼女は雷に打たれたのだと思います。閉じられた世界を永遠に続けたいという彼女の願いは、入り口の扉が開いたことによって成就しました。

 しかし、彼女はその大きな代償を払います。おそらく入り口の扉を開いたときに、その通路を利用して「根源的な悪」が「現実世界」に浸食してきてしまったのだと思われます。その「悪」は生贄を求め、その結果として甲村青年が殺されて死にます。そして現実世界に浸食した「悪」は「雷」になり宿主を探します。その「雷」に打たれた人間は「根源的な悪」にとりつかれ「悪」を自分の中に抱えることになります。(一般的な意味で雷に打たれた人が根源的な「悪」になるわけでは当然ありません。この小説では、たまたま「悪」が雷の形をとり、田村カフカの父親にとりついたということです。)

 おそらく彼女が雷に打たれた人間に対するインタビューの本を書いたのは、自分が解き放ってしまった「根源的な悪」がとりついた人間を探していたのだと思います。しかし、カフカ君の仮説とは違って佐伯さんは、彼の父と会うことはありませんでした。彼女が田村さんという名前は知らないとすぐ言えたのは、この「悪」を探す作業が彼女にとって重要であり、その詳細まで昨日のことのように覚えていたからです。

(3)「あちら側」に行ってしまった人間に生きている意味はあるか?
 佐伯さんは、半身が「あちら側」へ行ってしまった人間です。彼女の本体は「あちら側」で「過去」とともに生きており、現実世界の彼女は空っぽで残像のようなものに過ぎないともいえます。「過去の世界」に生き「現実世界」に背を向ける人間に生きている意味はあるのか?という問いかけが、この小説のもう1つのテーマだと思われます。

 このテーマの元々のはじまりは「ノルウェイの森」です。直子は「過去」に引き寄せられ、現実世界で生きることを選ばず自殺します。彼女が自殺をせずに、現実世界で生き続けることができるようにするためには、どうしたら良いのか?という問いに対するひとつの回答が「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でした。(この事については「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の書評で触れました。)

 彼女が「あちら側」に「自分の世界」をつくり、過去の思い出の中で生きていくことができれば、彼女は現実世界でも生きていけます。しかし、彼女の心は「あちら側」に行ってしまっており、「こちら側(現実世界)」にはありません。この現実世界の彼女は本当の彼女といえるのか、外見上は確かに生きていますが、これは生きているといえるのか、現実世界に生きる意味はあるのか?という問いがでてきます。

 現実世界に生きる意味がないのならば、この「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の回答は、現実世界における「生」は「死」とたいして変わらないという話になってしまい、彼女の自殺をとどめるものではなくなってしまうということになります。だから、作家としてはこの回答が有効なものなのか問い直す必要がありました。

 佐伯さんをこの世界にとどめたのは、予言でした。「海辺のカフカ」の絵と歌は予言です。彼女は予言から、いつか甲村青年の生まれ変わりである少年(田村カフカ)が助けを求めて、この地を目指してやってくることを知っていました。そして、彼女が入り口の石を開いたときに解き放ってしまった「悪」との決着をつける必要がありました。

 カフカの受けた「呪い」は、佐伯さんが解き放ってしまった「悪」に因果の元があります。そうしたメタフォリカルな意味で、佐伯さんはカフカくんの「母」であり、彼女の罪の結果として、カフカくんの受けた「呪い」があります。彼女は「母」として自分が解き放った「悪」と対決し、「息子」の「呪い」を浄化しなければいけませんでした。

 そのため、長きにわたる失踪を経て佐伯さんは高松に戻り、甲村記念図書館の管理責任者になります。いつかやって来る彼を待つために。また、おそらくやってくる「悪」と対決するために。輪廻転生というものが本当に存在するかはわかりません。しかし、人間は長い年月の中で、自分が失ってしまった人間と「同じような人間」に出会います。彼・彼女が迷い惑っているときに、生き続けていれば彼らを救うことができるかもしれません。彼・彼女を救うことによって、救った人間もまた救われます。彼らを救うことが、半身が「あちら側」に行ってしまった人間がこの現実世界で生き続けていく意味になります。
 
 大島さんは、佐伯さんは死にかけていていると言っています。列車が駅に向かっているみたいに。(これは佐伯さん自身も言っていたことですが。)これは結局事実でしたが、大島さんはその列車をカフカくんと考えていました。しかし、実際にはその列車はナカタさんでした。彼はカフカくんの代わりに「悪」がとりついた父親を殺し、罪を引き受け、「悪」をその体に受け入れて、佐伯さんを訪れたのでした。ナカタさんと佐伯さんが出会うことによって、ようやく彼らはそれぞれの物語での役目を終えることができました。

 最後に佐伯さんは「あちら側」へ行き、カフカくんにこちら側(現実世界)に戻るように言います。「15歳の佐伯さん」ではない「現在」の彼女が生きたまま「あちら側」に行くことはできません。彼女は死んで「あちら側」に行き、カフカくんを現実世界へ戻します。これが彼女の最後のなすべきことでした。

 佐伯さんがカフカくんに残した「あなたに私のことを覚えていてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」の言葉は、「ノルウェイの森」の直子の言葉を思い出させます。愛する人を失い残された人間がこの現実世界でどのようにして生きていけばよいのか、という問いに対する作者の答えとしてこの言葉はあります。

3.大島さん

 大島さんは、境界線上に立っている人間です。性同一障害であることも、この小説における境界線上に立つ人間であることを示しています。そのため、半身が「あちら側」にいる佐伯さんの気持ちも理解できますし、「呪い」から逃げてきたカフカくんの気持ちも理解できます。こうした理解者がいなかった場合、カフカくんの旅はより困難なものになっていたでしょう。

 境界線に立ちながらも彼(彼女)は、佐伯さんやナカタさんとは違って、心も身体も全て現実世界にあります。大島さんやさくらさんが現実世界の碇になって、カフカくんは現実世界に足場を残すことができました。

 最後のあたりで、大島さんは再び森へカフカくんを送り出します。このタイミングが絶妙で、これによりこの物語はカタストロフを迎えず、最悪の結末は回避される事になります。これについては後述します。

 

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