謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「海辺のカフカ」書評③

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

4.「ジョニー・ウォーカー」

 この小説の「根源的な悪」は、「ジョニー・ウォーカー」です。「悪」は、田村カフカの父親に雷が落ちた時にとりつき、父親は芸術的な才能を得る事と引き換えに、自分の魂を「悪」に売り渡します。「悪」は、彼に「笛」をつくる事を命じます。彼は猫を殺しその魂を集めて「笛」をつくります。「笛」は「悪」の集積です。最終的に集積された「悪」を更に集積して作られる「もっと大きな笛」は、多くの人を殺戮し損ねる巨大な「悪」のシステムとなることでしょう。そして、このシステムはいったん動き出すと、笛を作った彼自身にも止めることができません。

 ジョニー・ウォーカーは「こいつはね、善とか悪とか、情とか憎しみとか、そういう世俗の基準を超えたところにある笛なんだ」と言っていますが、「世俗の基準を超えた」ものを勝手に規定し、その力を他者に強制して影響を及ぼし損ねること自体が、紛うことなきひとつの巨大な「悪」です。ジョニー・ウォーカーの言っていることは詭弁です。 

 夫の「悪」の側面を見せられた妻は、恐怖を感じカフカくんの姉を連れて、父親とカフカくんの前から去ります。彼を置いて行ったのは、父親と血がつながっているカフカくんにも恐怖を抱いたからです。息子も父親のようになるのではないか、という恐怖が母親を捉えました。

 この小説では、田村カフカの母親は出てきません。田村カフカは、同じ境遇(おそらく息子を捨てた)の佐伯さんと邂逅し交わることで、自分の母親も自分を捨てたことで傷付いていたことを感じて、自分の母親をゆるします。

 カフカの父親は「悪」をなし続けることに倦み疲れます。そして、息子が「悪」を継承することを望みます。そのため、自分の息子に「呪い」をかけます。「呪い」どおり自分の息子が自分を殺せば、「呪い」は成就し「悪」は息子に継承されます。それこそが、彼の望みです。
 カフカ君は、自分の父親から「呪い」から逃げ出します。もちろん、それであきらめる父親ではありません。

5.ナカタさん

(1)山梨の森にUFOが来る
 なぜ、山梨の森にUFO(「銀色の光の飛行体」は、未確認飛行物体なので「UFO」とします)が来たのか?これは、岡持先生の夫が夢の中に現れたのが原因だと思われます。夫の魂は遠くの戦場から文字通り千里を超えて彼女の夢の中に現れ、「あちら側」の世界に共に行くことを望みました。しかし、この小説の他の箇所(「雨月物語」の引用)でも検討されているとおり、生きている魂が千里を超え飛ぶのは小説世界においてすら極めて難しいことです。この無理な飛翔に普通の人の魂は耐えられず、結局その死が代償になります。

 彼女は夫の呼びかけに答え、夢の中で「あちら側」の世界に行くことを望みます。この事によって「あちら側」への世界の入り口の扉が開きます。この時は入り口の扉はUFOの形をとって現われました。しかし、「入り口」は先生を連れていくのではなく、ナカタさんを連れて行きました。これは、父親から虐待を受けていたナカタさんが、この世界から離れたい望みを持っていたからです。疎開して両親と離れて新しい環境に入れられ、それをひとつの機会としてなんとか心を開きこの世界と折り合いをつけようとしていたときに、おそらく他人として最も信頼していた先生から暴力を受け、その衝撃でこの世界にいたくない、どこか別の世界へ行きたいという感情が極めて強くなったのです。そしてUFOが「あちら側」に連れていけたのは1人だけでした。1番強い感情を持ったナカタさんが「あちら側」に連れて行かれ、先生は連れて行かれませんでした。

(2)ナカタさんとカフカ君はなぜ出会わないのか?
「ジョニー・ウォーカー」はナカタさんにカフカくんの父親を殺させます。カフカくんの父親をナカタさんが殺したときに「悪」はナカタさんにとりつきます。「空っぽ」のナカタさんは「悪」を体現する存在にはならず、「悪」の運び手になります。「悪」にとってナカタさんはあくまで通路でしかありません。「悪」はナカタさんを使って、カフカくんを追いかけます。カフカ君にとりつくためです。ナカタさんは、導かれるようにして四国に向かいます。

 ナカタさんとカフカ君が出会うとどうなるか?サードインパクトが起こります。というのは、冗談ですが。ナカタさんとカフカ君と出会った場合、「悪(ジョニー・ウォーカー)」は何らかの手段(例えば父親の幻覚を見せて錯乱させるなど)を使ってカフカくんにナカタさんを殺させると考えられます。そして、ナカタさんが殺されたとき「悪」はカフカ君にとりつきます。「父殺し」の呪いは成就し、「悪」の継承は成功します。

 この小説の登場人物達は、物語の全貌を知らないままに、このカタストロフの回避のために動きます。彼らは「呪いの打破のための物語」の一部になります。特に大島さんのとったカフカ君を森に避難させる行動が「呪い」の回避のために必要不可欠な行動でした。この行動により、ナカタさんとカフカくんの接触は回避され、また「悪」の打倒の布石となります。

 歌の「海辺のカフカ」の「ドアにかげに立っているのは/文字をなくした言葉」の歌詞と、佐伯さんのナカタさんに言った「あなたは、あの絵の中にいませんでしたか?海辺の背景にいる人として。白いズボンをたくしあげて、足を海につけている人として」の言葉が「海辺のカフカ」の絵と歌によって、予言された物語にナカタさんがあらかじめ組み込まれていたことを示しています。

(3)ナカタさんはなぜ死んだのか?
 「悪」は、ナカタさんを使ってカフカくんに接触しようとしましたが、佐伯さんと大島さんの行動によって失敗します。このためナカタさんから抜け出して、入り口の石から「あちら側」へ行き、自力でカフカ君に接触しようとします。(カラスと呼ばれる少年との会話の描写で、「ジョニー・ウォーカー」が「森」のすぐ側まで来ていることが書かれています。)佐伯さんとの邂逅で力を使い果たしたナカタさんは死にます。ナカタさんが「ジョニー・ウォーカー」を殺した時、彼の体の中に「悪」が侵入しています。入り込んだ「悪」によってナカタさんの体は決定的に損なわされ、「悪」がその体から抜け出そうとすると生命が維持できない状態にさせられていたのだと思われます。

「悪」の本体がその実体を現実世界にさらけ出すことはめったにありません。普通は人間の心の中に潜んでいます。通常は「悪」には実体がなく、そうであるがゆえに死ぬことはありません。宿主は殺すことはできても、他の宿主に移るだけです。しかし、ナカタさんが死んだ事によって、運び手である宿主を失った「悪」が「どこかへ行く」ためにはその実体をさらけ出さなくてはいけませんでした。実体をさらけ出した瞬間が「悪」の本体を倒す唯一の「千載一遇」のチャンスです。ホシノくんが推測したとおり、入り口の石が閉まらずに開けっ放しになっていたのは、「悪」をおびき寄せるための罠です。
 
 しかし、逆に言うと「悪」の実体を現実世界におびき出すためには、ナカタさんは死ななければならなかったのです。そうしないと「悪」は倒されず、この物語は完結されませんでした。これを一面からみるとナカタさんは「物語」の完結のために犠牲(いけにえ)になったのだともいえます。しかし、ナカタさんは「空っぽ」な人間で、本体は「あちら側」にありました。彼は、物語の中でカフカ君を救う役割を行い、死んで「あちら側」に行くことにより、本来の自分に統合され「普通のナカタさん」になりました。物語で役割を果たし、他人を救うことが、彼が今まで「こちら側」の世界にいた意味なのだといえます。カフカくんを救うことにより、ナカタさんもまたある意味救われたのです。 

6.ホシノくん

 ホシノ君はこの小説では重要な役割を果たします。「入り口の石」をひっくり返して入り口を開き、またしかるべき時に閉じ、ナカタさんの資格をひきついで「悪」を圧倒的偏見をもって強固に抹殺します。これだけすごい事をやっているにも関わらず、全然深刻そうに見えません。「なんだ坂、こんな坂」って感じですね。彼がナカタさんとの旅を通じて成長している風にも読めますが、実際どうなんでしょう。彼がこの小説で成長していたとしても、この物語の前から成長の「核」となる物はすでに彼の中にあったのだと思います。

 重要なのは、彼はこの「物語」の外側の人間であるということです。彼はカフカくんにも、「悪」の因縁にも全く関わりがない。主人公と出会うことすらない。物語に元々組み込まれてはいないのに、偶然ナカタさんに出会いナカタさんを助けます。外側からふらっと偶然に来た普通の人間が、最終的に「悪」を倒すという英雄的行為をさらっとやってのけてしまいます。その英雄的行為は誰も褒めてはくれない。だけどそんな事はまったく気にせず、(おそらく)飄々と日常世界へ戻っていきます。いや、実にクールです。
 

7.「カーネル・サンダーズ」は何者?

 デウス・エクス・マキナです。「呪いを打破する物語」を完結させるために現れた機械仕掛けの神です。

 

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