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謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

村上春樹的多元宇宙

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 はじめに~「村上春樹はどこが面白いんだ?」で書いたように、村上春樹作品は「多義的な解釈を許す」ものです。当ブログ「謎解き村上春樹」で書いた解釈は、筆者の一面的な解釈であり、これが唯一無二の解釈という訳でもなく、他の方の解釈を否定するものではありません。だからお読みになる方が、仮に「おお、これが村上春樹作品の唯一無二の絶対的な正しい解釈だな」と思っていただいても困ります。「まあ、このような解釈もあるのだな」と思っていただければ幸いです。(PR番組の「*個人の感想です」と同じようなものです。)

 

 あるいは、「お前の解釈は間違っている!」と言って、自分の解釈を延々と述べられる方もいます。解釈が「間違っている」という場合、例えば文章が国語的に(日本語の文章の読解的に)読み間違っている場合もたしかにありえますし、論理的におかしい場合もありえますので、その場合はご指摘いただけるのは有難いのですが、たいていの場合「お前の解釈は間違っている!」と言う方は、「自分の解釈が唯一無二の正解だ。だから、お前の解釈は間違っている」という意味のことがほとんどです。 

 こういう事を言われても正直困るのですね。繰り返しになりますが、村上春樹作品は元々多義的な解釈を許す開かれた作品として作られています。これは村上春樹氏の著作が、そのような構造で作られているからです。

 多くの村上春樹氏の作品は、作品の中にあえて「空白」が作られています。(「空白」を「謎」と言い換えてもよいです。)ある意味、「未完成の作品」となっています。その「空白」は読者が想像して「空白」を埋めて満たすことによって、はじめて物語として完成します。いわば、村上春樹作品は読者と作者の「合作」によって創られるのです。

 

 読者の「空白」を埋める解釈は、人それぞれですので、解釈人それぞれで読者の数だけ解釈があるといってよいです。このどれもが作品の解釈として「正解」です。読者の数だけ「正解」の解釈があります。いわば読者の数だけ多元的な「村上春樹ワールド」があります。ある読者の解釈が他の読者の解釈と矛盾しても、そのどちらかが間違いという訳でありません。(前述した国語的・論理的な間違いは除きます。)これはパラレルワールドのようなものですから、どれもが、それぞれの読者の別の世界において「正解」なのです。

 

 こうした多元的な読み方を可能にするのが、村上春樹作品の魅力であり、これを「作品には唯一無二の解釈しかなく、自分の解釈が唯一無二の正しい解釈で、お前の解釈は間違っている!」というのは貧しい読み方と言わざるをえません。

 

「お前の解釈は推量に過ぎないのだから、断定口調で書くな!」という方もいらっしゃいました。うーん、確かに解釈人それぞれで、唯一の正解などないのに、断定的(「・・・です。」「・・・である。」とか)に書くのはよろしくないのかな、と一瞬思ったのですが、当ブログで書いた私の書評・感想は「私という読者の中では」これが「正解」なんですね。他の解釈では腑に落ちない、しっくりこない。

 

 だから、「これは仮説ですが・・・・・」「・・・・・・という可能性もあります」みたいな言葉を全ての文章に付ける気はしません。他の解釈では「私にとっては」腑に落ちず、色々考えてブログに書いた解釈が「私にとって」腑に落ちるからそのように書いているのです。当ブログの解釈が「私という読者」にとっては、(「仮説」ではなく)「正解」なのです。

 

 これは上記でも書いたように、他の読者の方の「正解」を妨げるものではありません。「村上春樹的多元宇宙」の別の宇宙の解釈と考えて頂ければ幸いです。