謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「羊をめぐる冒険」書評

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     激しくネタバレしています。ご注意願います。「風の歌を聴け」「ノルウェイの森」へのネタバレ言及があります。

 

 それでは、「羊をめぐる冒険」の書評を始めます。

 

1.「先生」とは誰か?

 鼠の父親です。しかし、鼠の父親は家庭用洗剤の会社の社長(「風の歌を聴け」)であって、右翼の大物ではないはずです。だから、「先生」は象徴的な意味での鼠の「父親」です。

 と、初め思っていたのですが、この小説を読み返すと物語的には本当に「先生」が鼠の父親であってもおかしくないかな、と思いました。根拠は以下のとおりです。

 ① そもそも先生は正体不明の人物です。インタビューも写真撮影も一切許可されていません。ですから、表で会社の社長をやっていて、裏で右翼の大物であってもおかしくありません。

 ② 「先生」は十二滝町の出身です。そして、この物語のはじまりであると同時に終点である牧場と別荘は十二滝町にあります。なぜ、鼠の父親はこの地に別荘を買ったのでしょう?偶然?ちょっと考えられません。故郷でもある、こんな重要な地を「先生」が所有しようとしない訳がありません。

 ③ 「先生」から抜けた「羊」は、なぜ鼠を次なるターゲットにしたのか?たまたま別荘にいたから?いや、明確な意思を持って「羊」は鼠を次なるターゲットにしたのです。それは、鼠が「先生」の「後継者」だからです。

 

 上記だけでは根拠が薄いような気もしますので断定できませんが、象徴的な意味であれ、物語上の現実的な意味であれ、「先生」が鼠の「父親」であり、鼠は後継者として「羊」を継承することを求められました。

 

2.「羊」とは?

 「根源的な悪」です。村上春樹作品の重要なテーマとなる「根源的な悪」が長編ではこの小説で初めて登場します。しかし、この小説における「根源的な悪=『羊』」は抽象的な概念であり、巨大な裏の組織をつくってしまう力を与える等、その片鱗は見せますが真の力は見せません。これは、「指輪物語ロード・オブ・ザ・リング)」のひとつの指輪と同じで、「羊」が真の力を発揮したら、その時にはもう手遅れだという類のものです。

 

 重要なのは「根源的な悪」は継承されるということです。

 

3.妻が去る、恋人が去る

 この小説では、村上春樹作品の重要なテーマのひとつである妻・恋人が去る(離婚する、失踪する)テーマが明確に出てきます。この小説では、妻と立派な耳の彼女が去ります。これは、前に指摘したとおり、主人公が「自分の世界」に閉じこもっており、羊男の言うとおり「あんたが自分のことしか考えなかったから」です。

 

4.「立派な耳の彼女」とは?彼女はなぜ去った?

 主人公を異界へ導く巫女です。「耳の開放」をすると「予言」を聞くことができます。また、前にも述べたとおり村上春樹作品ではセックスは異界への扉を開く意味があります。コール・ガールでもある彼女は、異界へ主人公を導く役割があります。

 

 しかし、巫女が主人公を導けるのは異界への入り口までです。異界の中は主人公が1人で対処すべきことでした。異界は死者の世界であり危険な場所です。本当は、彼女は異界に入ってはいけなかったのです。この小説における異界はもちろん別荘ですが、異界と現実世界の境目は「不吉なカーブ」です。不吉なカーブの先に彼女は入るべきではありませんでした。

 

またこの小説の問題は、主人公と鼠の問題で彼女が絡む話ではありません。本来彼女を巻き込むべきではない問題に主人公は深入りさせ、異界(死の世界)にまで連れて行くような危険な目に合わせています。それは、主人公が「自分のことしか考えてない」からです。彼女が去る(羊男に追い出されます。羊男が彼女を追い出したのは彼女のためを考えてですが。)のはその報いです。

 

5.「羊男」とは?

 異界(死者の世界)の案内人です。死者の媒介にもなります。(彼を通して死者が語ります。)「羊男」も死者です。異界の入口まで「立派な耳の彼女」が案内し、異界の中は「羊男」が案内するのが、彼らの本来の役割です。

 

6.鼠はなぜ自殺したのか?

 鼠が故郷を逃げ出したのは、父親から離れるためです。(父親=「先生」とすると父親はどこにいたのだ?という問題が発生します。芦屋か?東京か?父親=「先生」と断定できない理由はここにありますが、芦屋にいることもあり、東京にいることもあったと考えればいいのかもしれません。ちょっと適当ですが。)

 なぜ、鼠が父親から離れようとしたのか?これは、父親から「根源的な悪」の継承を求められたからです。「根源的な悪」の具体的な中身は不明ですが、小説から考えるならば、「詐欺的手法による金儲け」(風の歌を聴け)や「裏の組織による支配」(羊をめぐる冒険)などでしょうか。(左記ぐらいでは「羊」は真の力を発揮していないようですが。)鼠は「悪」の後継者として「悪」の継承を求められました。父親の「悪」を嫌悪している鼠にとって「悪」の継承は認められません。このため、鼠は後継を拒否し故郷を遠く離れます。しかし、結局最後は、鼠は父親ゆかりの地である十二滝町の別荘へ向かってしまいます。これには鼠にとって、もっとも良い時代(子どものころ)への郷愁があったのでしょう。しかし、本当に父親を拒否し離れたいならば、父親の別荘を訪ねるべきではなかったのです。

 

 これが、鼠の「弱さ」です。父親の「悪」を憎み拒否しているにもかかわらず、実際にはその「悪」に引き寄せられ魅せられてもいたのです。そして鼠はこの「弱さ」が自分の本質であると理解していました。生きている限り、自分の「弱さ」はやがて、父親の「悪」を受け入れ継承するだろう。そして、自分もまた「悪」へ堕落するだろう。「悪」の継承を拒否するために、彼は自殺を決意します。自殺することによって、「根源的な悪=『羊』」と、それを受け入れてしまうであろう自分の「弱さ」を一緒に葬り去ったのです。(彼が「好きだ」と言っている「弱さ」は、彼が葬り去ろうとしている「弱さ」とは別の意味です。巨悪になどなれない人間としてのささやかさが、彼が好きな「弱さ」です。)

 

 キズキはなぜ自殺したのか?鼠と似たようなことがキズキにもあったのだと思われます。もちろん「羊」や「裏の組織」など世界を巻き込むような事件では当然ありません。この小説はメタファーです。実際のキズキと父親の確執は外部から見ると家庭的なささやかなものだったかもしれません。しかし、本人にとっては重大なことです。 

 主人公は、キズキとの会話などの記憶をつなぎ合わせて、キズキと父親に確執があったのだと考えました。具体的に家庭内で何があったのかはリアリズム小説である「ノルウェイの森」にほとんど何も書かれていないことから不明だったと思われます。主人公は記憶と想像の力を使ってキズキの自殺の原因を推理し物語にしました。その答えが「羊をめぐる冒険」です。

 

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