「ダンス・ダンス・ダンス」書評~⑤ 残りのひとつの人骨は?
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残りのひとつの人骨は誰なのでしょうか?
結論から言ってしまえば、「羊男」なのですが、ここに至るまで紆余曲折があります。
この残りのひとつの人骨は、五反田君の暴走が続けば、もうひとり誰かが死んでいたという意味だったのです。それは可能性世界の話ですので、「誰でも」よかったのです。
それは、主人公が心配したとおりユミヨシさんだったのかもしれないし、ユキだったのかもしれないし、主人公自身だったのかもしれませんでした。
私はこの中で一番可能性が高かったのは、ユミヨシさんではなく、ユキだったと思います。というのは、ユキは「根源的な悪」である、犯人を見破った人間だからです。「根源的な悪」としては、本当は真っ先に始末すべき人間だったでしょう。
主人公がうまく五反田君と訣別ができなかった場合、ユキは五反田君に殺されていた可能性が高いと思われます。主人公は五反田君とつらくとも訣別する必要がありました。そうしないと「根源的な悪」による犠牲者が、確実に一人また増えていました。
五反田君が死に、「根源的な悪」の存在も(一時的ではありますが)消えました。(「根源的な悪」は普遍的な存在で不死ですので、一時的に消えてもまた現れます。)これによって、誰かが殺される可能性は(短期的には)なくなりました。
残りひとつの人骨の役は「羊男」が引き受けます。彼は主人公の「幻想世界=異界」の管理人です。羊男が残されたひとつの人骨の役を引き受け消滅することによって、現実世界の他の人間の死の可能性を打ち消します。これは「羊男」が生贄の役を引き受けたということです。
これは主人公の「幻想世界」の死を示します。彼は、自分の幻想世界を失うことによって、現実世界に戻り自分を取り戻します。幻想世界の喪失による自己の回復というのがこの小説のテーマであり、喪失の痛みとともに主人公は現実世界へ戻ります。
この小説の結論は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは真逆の結論になります。これはどちらが正しいという話ではありません。どちらの結論も正しいのです。「現実世界で生き延びることができる」のなら、どちらの選択枝も許されています。人には、どちらの世界を選ぶかを自分の意思で選択する「自由」があります。
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