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謎解き 村上春樹(感想・考察・書評)    (ネタバレあり)

村上春樹作品の謎解き(感想・考察・書評)(ネタバレあり)

「風の歌を聴け」書評

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     激しくネタバレしています。ご注意願います。『ノルウェイの森』のネタバレ言及があります。

 

では、「風の歌を聴け」の書評を始めます。

 

 

 

  

1.鼠は誰か? 

 この小説の前に「ノルウェイの森」があると考えるのなら、鼠=キズキだと思われます。もちろん、キズキは死んでいます。だから、鼠はキズキの幽霊です。ジェイズバーは冥界の門です。主人公は夏の間故郷に戻り、ジェイズバー(冥界の門)を通して、キズキの幽霊である鼠と邂逅します。

 この小説は「自己療養へのささやかな試み」です。キズキと直子に自殺され、深く傷ついた主人公が、小説という幻想の世界で死者であるキズキ=鼠と邂逅することで、自分を癒すことができないか試みているのです。

 夏が終わりに近付くと、この小説(幻想)も終わりを迎え、鼠=キズキは取り残されることになります。そして、取り残される気分になった鼠は調子がわるくなります。

 

2.キズキはなぜ、自殺した?

 この小説で、鼠は「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」と言っています。(点まで打って強調されています。)ここで鼠が言う金持ちとは一般的な金持ちを指している訳ではありません。この金持ちは、(金持ちである)父親のことを指しています。また、鼠の父親はただの金持ちではなく詐欺師でもあります。「戦争が終わると彼は軟膏を倉庫に放り込んで、今度は怪しげな栄養剤を売り出し、朝鮮戦争の終わる頃には突如それを家庭用洗剤に切り替えた。それらの成分はみな同じであるという話だった。ありそうなことだ。」という描写があります。鼠は詐欺的手法で金持ちになった父親を嫌悪して上記のような言葉を使っています。

しかし、金持ちの父親の息子である自分も金持ちです。嫌悪している父親の金で裕福な暮らしをしている自分も嫌悪の対象です。もちろん、これだけの理由で自殺する訳ではありませんが、自殺には何かしら父親が関係していることを暗示しています。

 

3.鼠の小説の意味は?

 小説世界と現実世界は違うということです。船が沈没して、鼠(キズキ)はその場に留まり、女(直子)は島を目指して泳ぎます。そして、どちらも助かりません。あの世で2人は再会します。だから「悲しくないか?」と鼠は言う訳です。

 (鼠の)小説世界の中では2人は死にませんし、セックスのことで思い悩む必要もありません。

 

4.鼠が彼女を紹介しようとした意味は?

 鼠は彼女を僕に紹介しようとして、取りやめます。そして、「世の中にはどうしようもないことだってあるんだってね。」と言います。キズキにとって、直子のことはどうしようもないことです。

 

5.主人公にリクエスト曲をプレゼントした女の子は誰?

 コンタクト・レンズを捜してあげた女の子と主人公は言っていますが、たぶん彼女は高校の時のクラスメートで、主人公が最初に寝た女の子だと思います。主人公は車の中で、初めてデートした女の子(おそらく最初に寝た女の子)のことを思い出します。デートで見たエルヴィス・プレスリーの映画の主題歌(喧嘩した彼女に手紙を出したけど、宛先不明で戻ってきたという歌(文庫版95ページ参照))が、彼女がリクエスト曲をプレゼントした女の子であることを暗示します。主人公はいろいろ調べて、リクエスト曲をプレゼントした女の子の宛先を探しますが、見つかりません。

 

彼女は今年の3月に大学に退学届を出しています。理由は「病気療養」です。これは、自分の「病気療養」ではありません。小説の最後のあたりでラジオのDJが病気の女の子の手紙を紹介しています。彼女は手紙の中で姉を「私を看病するために大学を止めました」と言っています。彼女は病気の女の子の姉です。 

 

6.9本の指の女の子は誰か?

 すいません、結論から言うと「わかりません」。直子のような気もしますが、直子のような感じがしないのですね。しかし、直子を思わせる箇所もあります。

       ジェイズバーの洗面所で彼女は発見されました。ジェイズバーは冥界の門のため、彼女もまた死者であることを暗示しています。

       鼠の小説世界の話で出てきた「ジョン・F・ケネディー」の言葉を彼女は話しています。(主人公の虚言かもしれませんが。)ジョン・F・ケネディーについては、僕が3番目に寝た女の子の、彼女の写真の話で出てきます。自殺した彼女はもちろん直子を暗示しています。

       彼女は、「一人でじっとしているとね、いろんな人が私に話しかけてくるのが聞こえるの。」と言っています。これは精神的な病の兆候です。

以上のように直子を思わせる箇所もあるのですが、やはり違うような気がします。どこがと言うのではなくて、全体的にイメージが違うのですね。もしかしたら、直子も含めたいろいろな亡くなった女性のイメージが混ざり合っているのかもしれません。

 

鼠が紹介しようとした女の子は、彼女なのか?初めそうなのかなと思ったのですが、主人公と彼女との出会いを考えると違うのかな、と思います。主人公は、ジェイズバーに鼠に会いにいったが鼠はおらず、鼠に電話したら女の子が電話に出たのであきらめて、また1人でビールを飲んで洗面所に行ったら9本の指の彼女がいた訳です。鼠は電話に出た女の子を紹介しようとしたと(多分)思われるので、9本の指の彼女は、紹介しようとした女の子ではないような気がします。

 

冬になっても主人公は彼女と再会することができません。おそらく死者である彼女は、夏が終わると死者の世界に帰り戻ってきません。

では、なぜ同じ死者であるはずの鼠とは再び会えるのか。それは鼠が小説を書き続けているからだと思います。小説を書き続ける限り幻想は続きます。

 

 この小説および「1973年のピンボール」は、謎解き小説の側面はおそらくなく、謎に見えるものは「情報の欠落」なのだと思います。「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」の翻訳が海外で出版されていない(作者の意向による)のもそれが理由ではないかと思われます。海外では、村上春樹作品を謎解き小説として読む人も多いと思われます。

 

この小説に対しては、色々感想はあり、色々な余韻を感じる小説なのですが、このblogは謎解き書評に特化して書くことを考えていますので、個人の雑多な感想は書きません。 

 

 ということで、この小説に「謎」自体はあまりないので簡単ではありますが、これで「風の歌を聴け」の書評を終わります。次回は「1973年のピンボール」の予定です。

 

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)