「ねじまき鳥クロニクル」書評①
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*激しくネタバレしています。ご注意願います。(「羊をめぐる冒険」に対する言及があります。)
それでは、「ねじまき鳥クロニクル」の書評をはじめます。
この作品のテーマは2つあり、1つは「妻が去る」ことについてです。もう1つは「『根源的な悪』との対決」です。
1.妻が去る
妻が去る展開はよく村上春樹作品で語られます。短編でもよく出てきますし、長編では「羊をめぐる冒険」で妻が去ります。妻が去る理由として、「羊をめぐる冒険」書評でも触れたように主人公が「自分のことしか考えていない」というのがとりあえずの解答として与えられます。主人公は去る者は追わずひとりになります。
しかし、「自分のことしか考えていない」から「妻が去る」というのは一面の正解ではありますが、半分だけの正解でしかありません。夫婦である2人が別れることについて、一方だけ問題がある場合もありますが、必ずしもそうとは限らず、双方が問題を抱えていることの方が多いです。そして去る側がその人自身のなんらかの問題を抱えている可能性も、もちろん高いです。それを「自分に問題があった、自分のことしか考えていないから妻が見限って去った」という結論に落ち着いて諦めるのは、全てを自分の問題・責任として引き受けて潔いように見えて、本当はそこに存在する問題を直視せずに逃げていることに過ぎないのかもしれません。
もちろん、問題を直視せずに別れることもひとつの選択枝としてはありえます。その問題が深刻な場合は、問題が重過ぎて対処できず2人とも破滅してしまうこともありえるからです。
しかし、「ねじまき鳥クロニクル」の主人公は過去の作品の主人公達とは違って、妻のクミコに隠されている問題を突き詰め、解き明かし、妻を取り戻そうとします。これは従来の作品とは違った展開です。
2.無意識世界の戦場・井戸
もう1つのテーマが「『根源的な悪』との対決」です。「『根源的な悪』との対決」は「後期村上春樹作品」の重要なテーマですが、このテーマを明確に打ち出したのはこの小説が最初と言ってよいでしょう。これより前の作品にも「根源的な悪」は出てきますが、はっきりとこれと「対決」し、暴力的な手段を使って倒すという描写が出た作品ははじめてかと思います。
この作品の基本的な世界観について説明します。この作品の世界観は基本的にユング心理学を下敷きにしていると思われます。といっても、私はユング心理学の研究者ではありませんし、作家の世界観がどこまでユング心理学の考えに忠実なのかもわかりません。多分正しい理解からはちょっとずれていると思いますので、「お前のユング心理学理解は間違っている!」というツッコミはなしでお願いします。
まず、この作品に限らず村上春樹作品にはよく「井戸」が出てきます。これは、精神分析の用語の「エス(ラテン語でイド)」の比喩です。「人には、体の内部から駆り立てられる力、本能的なもの、すなわち欲動がある。精神分析では、これを無意識的なものとして、「エス」と呼ぶ」(大場登・森さち子「精神分析とユング心理学」(NHK出版)より引用)とされています。
村上春樹は、「個人的無意識」の比喩として「井戸」という言葉を使っているものと思われます。ところで、ユング心理学には「集合的無意識(普遍的無意識)」という概念があります。「集合的無意識」とは、「個人的無意識」より深い無意識、個々人が体験するより以前に、すでに生まれたときに持っている無意識であり、人類的に普遍的に誰の心の中にも、だいたい同じように存在している「無意識」のことです。この人類に普遍的に存在している「無意識」の型をユング心理学では「原型」と呼んでいます。(参考文献:林道義「ユング 人と思想59」清水書院)
つまり、我々の無意識は個々人でバラバラのように見えて、「個人的無意識(井戸)」の底には「集合的無意識(地下水脈)」があり、この地下水脈を通じて我々は繋がっています。 地下水脈を通じて我々は互いに共感したり、深く理解し合えたりすることができます。「物語」は、この人々の「集合的無意識」にはたらきかけることによって、共感や感動を生むものだと作家は考えていると思われます。この小説における「『井戸』の底に下りる」という行為は、無意識世界に潜り、地下水脈を探すことによって他者を本当に深く理解しようとする行為のことです。
しかし、本来人々が共感し理解するための重要な要素である「集合的無意識」を悪用しようとする人達も現れます。彼らは、この人々の共感する「集合的無意識」に働きかけて、暴力、悪意、憎悪や敵意の負のイメージを人々に共有させようと働きかけます。憎悪と悪意の先には、戦争、テロや民族浄化の「巨大な悪」があります。こうして起こったのが20世紀の悪夢であるファシズムであり、ビックブラザー(独裁者)であり、ホロコーストであり、第二次世界大戦でした。
我々は、こうした「根源的な悪」に「集合的無意識」の地下水脈を汚されないように注意し続けなればいけません。
3.ねじ緩め鳥(ボリス・ワタヤノボル)
この作品で出現する「根源的な悪」は「ねじ緩め鳥」です。「ねじ緩め鳥」とは前項で述べた人々の「集合的無意識」のねじを緩め、憎悪や悪意等の負の感情を増幅・共振させることによって「悪」をなそうとする人間のことです。ワタヤノボルの力の源は第2部で主人公が井戸の底で見る夢(というかたちをとっている何か)でワタヤノボルによって語られます。彼は他人の「欲望の根」を見つけ出し、彼らの欲望のねじを緩め暴走させることができます。そして、彼の力はメディアによって増幅されます。
こうした他人の「無意識」に働きかけ、精神を汚し、コントロールすることが非常に得意な人間というのは現実に存在します。彼らは「精神の捕食者」です。彼らの存在は、非常にまれというわけでもありません。ビッグブラザー(独裁者)、例えばヒトラーやスターリンのような「巨大な悪」を例に出すと、「あんな悪人はめったにいるわけがない」と思いますが、実際には規模が小さいだけでそのような型の人間は普遍的に存在します。ワタヤノボルは身近な人間であり、そうした人間は案外近くにいることを示しています。
この小説に出てくる「ねじ緩め鳥」を体現する人物は2人います。皮剥ぎボリスとワタヤノボルです。
ワタヤノボルは、もともとそういう「素質」を持っていたのでしょうが、はじめはその力を近親者にしか適用できていませんでした。しかし後に、彼はなんらかの時点(おそらく彼がテレビに出演するようになった頃に)で、世間の多くの人間に精神的な影響を及ぼす力、「根源的な悪(ねじ緩め鳥)」を伯父から継承しています。それは、いわば「羊をめぐる冒険」における「羊」のようなものです。満州における防寒被服のための「羊毛」の状況視察をしたのがワタヤノボルの伯父であるのは象徴的です。ワタヤノボルの伯父は「ねじ緩め鳥」を満州で見つけ、その運び手になり、ワタヤノボルに継承させました。(伯父はただの運び手であり、その力を発現させてはいないと思われます。)
しかし、皮剥ぎボリスとワタヤノボルの伯父の接点は無さそうなので、彼らは別個の「根源的な悪」なのでしょう。しかし、この「ねじ緩め鳥」は満州と外蒙古の国境地帯を根源とするもので、根は一つのものだと考えられます。ボリスとワタヤノボルは「ねじ緩め鳥」であることで繋がっています。
「根源的な悪」はその継承者を求めます。次なる「悪」の継承者が必要であるがゆえに、ワタヤノボルはクミコの子を必要としました。
4.ねじまき鳥(間宮中尉・オカダトオル)
「ねじまき鳥」とは「ねじ緩め鳥」によって、緩められた世界のねじを巻いて、世界に秩序を取り戻す人のことです。この「ねじまき鳥」は特殊な英雄ではなくて「ねじ緩め鳥」と対峙しなければいけないことになった「普通」の人間です。このため、最初の段階では彼らは無力です。この物語では、初めは主人公は真実を見通す力もなく、「悪」を倒す力も持たず、引き起こされる事態に翻弄されるだけでしたが、深く「井戸」の底に潜ることや、その他の体験によって「悪」と対決する資格と力を得ます。
間宮中尉は、先代の「ねじまき鳥」です。彼は、力が及ばず「ねじ緩め鳥=ボリス」を殺せませんでした。ボリスはそれを「呪い」と呼びました。しかし、間宮中尉の無念が彼の「物語」として主人公に受け継がれ、主人公の力となっています。主人公が「ねじまき鳥」を継承し「悪」を殺すことによって、間宮中尉にかけられた「呪い」(一生無意味な人生を送るという呪い)は解け、彼の人生は意味を与えられます。そして、彼は再生します。
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「国境の南の南、太陽の西の西」
(以下は、村上春樹「国境の南、太陽の西」の「誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。」の「誰か」が「イズミ」だった場合の続編を想定したパロディ小説です。よろしければ、ご覧ください。)
(「国境の南、太陽の西」、「ねじまき鳥クロニクル」のネタバレがあります。ご注意願います。)
誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。
振り返るとそこにイズミがいた。この前見たすべての表情を失ったイズミではない。まるで、高校時代のイズミがそのまま蘇ったような顔をして僕の前に立っていた。彼女は有紀子の服を着ていた。
「イズミ」僕は叫び、そのまま床にへたりこんだ。からだ中の力が抜けてしまったかのようだった。いつの間にイズミが入り込んでいたのだろう、誰にも気づかれずに。
僕が叫んだのに気が付いて2人の娘達が心配そうに居間にやってきた。起こしてしまったようだ。そして「どうしたの、お母さん」とイズミに聞いた。
「なんでもないのよ。お父さんは変な夢をみて、叫んでしまったみたいよ」と「何も心配することはないのよ」という表情で、イズミは娘達の頭をなでた。
娘達は「お父さん、大丈夫?」と聞いてきた。
娘達には彼女が有紀子に見えるみたいだった。僕はおかしくなってしまったのだろうか。
「大丈夫だよ。お父さんは怖い夢をみてしまったようだ。驚かせてごめんね」
そして、娘達の頭をなでてやり、部屋に戻した。
娘達がいなくなった後、僕はイズミに聞いた。
「どういうことなんだ」
「大きな声を出さないで」とイズミは言った。
「この姿があなたには、『イズミ』に見えるのね?でも、他の人には有紀子さんにみえるの。だって、この身体は有紀子さんのものだから。だから、あなたにしか『私』は見えないの。 そして、有紀子さんは『遠く』に去ってしまったの。それはあなたが『島本さん』を選んだからよ。それは、『私』が今ここにいることとは関係がないことなのよ」
「僕が、島本さんを選んだから・・・?」と僕は呟いた。
「そもそも、君はなんで島本さんのことを知っているんだ?」
「私は、あなたをずっと見ていたの。あなたが島本さんに見えていたのは、実は私の身体だったの。『空っぽ』になってしまった私の身体に、島本さんが入ってきてあなたに近付いたの。島本さんが私から離れたときに、記憶は全部置いていってくれたの。あなたは、私の身体とずっと会っていたの。だから、私はずっとあなたの側にいたのよ。」
「わけがわからない」と僕は頭を抱えた。
「わからなくても、あなたは理解しないといけない」とイズミは言った。
「島本さんと私のあいだで起こったことが、今、私と有紀子さんのあいだで起こっているの。有紀子さんは、あなたが島本さんを選んで裏切ったことによって、空っぽになって『遠くへ』行ってしまったの」
「そんな、馬鹿な・・・」と僕は呟いた。
だって、さっき僕は「明日からもう一度新しい生活を始めたいと僕は思うんだけど、君はそれについてどう思う?」と尋ねて「それがいいと思う」と有紀子は言ってくれたのだ。
「それは、あなたの都合のいい幻想よ。そんなことは実際になかったの。全てあなたの妄想だったの。」イズミは言った。まるで、僕の気持ちを見透しているかのように。いや、実際にイズミは僕の気持ちを見透かしているのだ。
「あなたが、有紀子さんを裏切って島本さんを選んで、その選択に代償がないと思っていたの?もちろん代償はあるの。そして有紀子さんは消えてしまったの」
「ねえ、イズミ。」僕は言った。
「君が有紀子にとりついて彼女をどうにかしたんだとしたら・・・」
「さっきも言ったけど、私は何もしていない。有紀子さんがどこか『遠く』に行ってしまったのは有紀子さんが選んだことなの。そして、その原因は『あなた』のせいなの。私には関係のないことなの」
そして、イズミは言った。
「あなたには選ぶ道がみっつあるのよ。ひとつめは、今すぐ死ぬこと。そうすれば、『たぶん』あなたは、島本さんと『あの世』で結ばれるわ。ふたつめは、このまま有紀子さんが帰ってくるのを待つこと。そして、みっつめはあなたが、有紀子さんを探し出すこと。
有紀子さんが、どこにいるかは私にもわからないわ。彼女は心だけの状態だから、どこにもいないともいえるの」
「それじゃあ、どうすればいいんだ」
「彼女に呼びかけることね。呼びかければ答えてくれるかもしれない」
イズミは僕の肩に手をのせて言った。
「考えなさい、ハジメ君。考えるのよ。時間はたっぷりあるわ」
それから1日中僕は、居間にうずくまったままで何もできないでいた。
次の朝になるとイズミがやってきた。
「イズミ。僕は君に謝らないといけないことがあるんだ。今まで、ずっと謝らなければと思っていたんだ」
「謝るって昔のこと?それなら、謝るのはやめて。それはもう終わってしまったことなの。今の私は、あなたを許すことも、許さないこともできないの。それはもう全て過ぎ去ってしまって、取り返しのつかないことなのよ。ある地点を通りすぎると物事はもう引き返すことができないの。私にもどうすることもできないの」
「なぜ、ここにきみはいるんだ?」
「私がここにいるのは、ハジメくんを見ているため」
「僕を見ていて何の意味があるんだ」
「私は見ているだけなの。ハジメくん。見ていること自体には意味なんて何もないのよ。ただ、なぜ見ているのかについては、理由がある。ひとつは、島本さんが去るときに『ハジメくんのことを見ていてあげてね』と頼まれたから」
「島本さんに?」
「そう。私が見ていても、なんの意味もないのに不思議な話ね。でもそれが彼女の最後の言葉だったから、聞いてあげることにしたの。
ふたつめは、私の役割はもうそれしか残っていないの。今の私は残像のようなもの。ただ、あなたを見ているという役割のためだけにここに留まっている。あなたが『どこかに』たどりついたら、私は役割を終えて消えていくだけよ」
その言葉で、現実の「生きている」イズミはもうこの世にいないのだと僕は感じた。
その夜、義父が家を訪れた。忙しい義父が家を訪れることはめずらしいことだったので、ぼくはびっくりしたが、どうやらイズミが呼んだようだ。僕以外の人間には、彼女は有紀子に見えることを証明するために呼んだらしい。
義父は僕の顔を見て、疲れた顔をしているようだが大丈夫か、と聞いた。
僕は、最近忙しくて寝不足で、と答えた。
次の日、僕は前にイズミの消息を教えてくれた知人に連絡をしてみた。彼の仕事帰りにコーヒーハウスで待ち合わせた。彼は、僕が何を聞こうとしているのかわかっているようだった。
「聞いたのか?」と彼は僕に尋ねた。
「彼女は、イズミは亡くなったんだね?」僕は聞いた。
「そうだ、彼女は亡くなった」
「いつ?」
「2日前だ」イズミが有紀子に「とりついた」日だ。
「死因は?」
「それがよく分からないらしい。自殺や事件ではないようだ。目立った外傷とか病気とかはなかったそうだ。体は健康なんだが、まるで魂が抜けてしまったような状態で、そのまま亡くなっていたらしい」
僕は肩を落とした。
彼は僕の肩に手を乗せて言った。
「昔、何があったのかは知らないけど、彼女が死んだのは君のせいじゃない。あまり自分を責めるな」
「いや、僕のせいだ」と僕は呟いた。
彼はそれ以上何も言わずに黙っていた。
数日後、イズミの葬式があった。
僕は久しぶりに実家のある町に帰った。イズミには何も告げなかった。
「これから、君の葬式に行くよ」とも言えない。いや、本当は言った方がいいのかもしれない。でも、僕にはそれがイズミの死を確定してしまうかのようで怖かった。実際に葬式に行くまでは信じたくなかったのだ。僕は先延ばしをしていた。
僕はイズミの葬式が行われている斎場へ向かった。そして斎場の入り口の庭のところで、僕は肘を誰かに掴まれた。
僕はその肘を掴んだ男の顔を見たときに、驚いて何も言えなくなった。
そこには、28歳のときに島本さんを追いかけたときに僕を阻んだ中年の男がいた。
「会場に行くことはやめなさい。あなたがイズミさんの葬式に行く資格はない。あなたがイズミさんの親族に顔を合わせる資格はない。それはあなたが一番良くわかっているはずだ」
僕は、黙って頷き彼の言うことを聞いてその場を去った。僕は、彼と再び会うことがあれば聞きたいことがたくさんあると思っていた。しかし、今彼と顔を合わせて全ての疑問は解けてしまった。彼は僕だったのだ。彼は僕自身の生みだした幻覚だったのだ。なんて馬鹿馬鹿しい。
家に戻った僕は、イズミに言った。
「イズミ、君は死んだんだね」
「言ったでしょう。今の私は残像のようなものだって」
それから、数日が過ぎた。僕はイズミの言った3つの選択枝について考えてみた。ひとつめについては、選択枝には入れられない。僕は、有紀子と娘達を残して死ぬわけにはいかない。おかしなものだ。僕は島本さんと人生をともにすることを選んだのだから、その選択枝も有り得たのに、今、僕の中ではその選択枝は消え去っていた。
ふたつめのこのまま待つという選択枝だが、それでこのまま事態が好転するとは思えなかった。そして、みっつめの選択枝、有紀子を探すことだ。でも、どうやって?有紀子の身体はここにいる。消えてしまったのは有紀子の心だ。消えてしまった心はどうやって探せばいい?
考えてもいい考えは浮かばなかった。しかし、僕はなにか動かないと気がすまなかった。
僕は、はじめて有紀子と会った場所へ行ってみることにした。そこに有紀子がいるとは思えなかったが、何かをせずにはいられなかったのだ。
田舎道を散歩していると、突然激しい雨が降り出した。あの時と同じだ。雨宿りに飛び込んだところに2人の女性の先客がいた。そのうちの1人の後ろ姿を見たときに僕は息を飲んだ。その姿が有紀子そっくりだったからだ。僕は思わず声をかけそうになった。その時、彼女が振り返った。彼女の顔は有紀子とは全然違う顔だった。
僕は笑い出した。おかしくなってきているのかもしれない。僕は外へ飛び出した。あっという間に雨でびしょびしょになったが、僕は構わなかった。そのまま雨の中を僕は歩き続けた。
僕は家に戻った。結局有紀子はどこにもいないのだ。
僕自身に問題があるのだから、彼女は戻ってこない。だから、彼女が戻ってくることはない。僕は途方にくれた。どうすればいい。彼女が戻らないことを望んでいるならば、このまま諦めてこの生活を続けるしかないのか。それが僕に与えられた罰なのか。誰も答えを返してくれない。何も変わらないまま、しばらく日々が続いた。
それは、僕がいつも通っているプールで泳いでいる時のことだった。
有紀子のかすかな声が聞こえたような気がした。その声は、かすか過ぎて何を言っているのかはわからなかった。しかし、僕に助けを求めていることだけはわかった。有紀子の魂はどこかに迷いこんで、戻る場所がわからず叫んでいるのだ。彼女は一方で僕を拒みつつ、一方では僕を探して呼んでいる。
しかし、彼女の声は小さ過ぎて、どこにいるのかも、呼びかけることも僕にはできない。どうしたらいいのだろう。僕は頭をかかえた。
そして、あの電話が鳴った。それは、僕が家でスパゲティをゆでている時のことだった。あの電話がすべてのはじまりだった。僕が有紀子を探す長い長い旅が、その時からはじまった。でも、僕は、あの電話が有紀子を探す旅のはじまりになることをまだ知らない。僕がはじめはいたずら電話だと思って途中で電話を切ってしまうことも、まだ知らない。
僕が有紀子を探す物語が今、始まった。
(END)
(補足)
「ねじまき鳥クロニクル」とは違って、この後のストーリーで主人公が対決しなければいけないのは、自分の中にある「悪」になると思われます。自分の中の「悪」と、他者の「悪」とどちらと対決する方が困難なのかはわかりません。
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「国境の南、太陽の西」書評
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この小説はホラー小説で、主人公が過去に捨てたはずのものに追いかけられるという話です。
主人公は、中学校になると島本さんと会わなくなり、高校時代に付き合ったイズミとはひどい裏切りをする形で別れます。島本さんは、過去への憧れの象徴であり、イズミは過去に傷つけてきたものの象徴です。
タイトルの「国境の南」は(原曲の指すメキシコではなく)、「よく分からないけれど、おそらく素晴らしいところ」であり、「太陽の西」は、破滅に取りつかれた人間(ヒステリア・シベリアナ)のことを指します。人間は「よく分からないけれど、おそらく素晴らしいところ」に行くために破滅にとりつかれることがあります。しかし、島本さんの言っているように「国境の南」と「太陽の西」は少し違ったところです。(「少し」ではないと思いますが。)
この小説の主人公は「良くない人間」です。良くない人間とは、小説の描写にあるとおり「悪」をなす人間であるということです。ただし、ここでの悪とは犯罪行為ではなく倫理的な悪です。ここで書かれている倫理的な悪とは結局「愛されている人の信頼を裏切ること」=「不倫」といえます。これは主人公が結婚しているからという話だけではありません。主人公がイズミを裏切ったのも(世間的にはそう呼ばないでしょうが)「不倫(倫理的な悪)」です。
ある種の人間は平凡なそこそこな人生で満足せず、(九の外れがあっても)一の至高体験を求めます。この強い渇きがある種の才能を生み出すこともありますが、一方でその渇きが悪を呼び込むことにもなります。
主人公は過去を捨て去り、現在を生きます。そして、有紀子と出会い結婚し、2人の娘ができ、繁盛しているジャズ・バーを経営して、生活も裕福そうです。普通の人が想像している、そこそこ幸せな生活を手に入れているかのようにみえます。
そうして、過去を捨て去って忘れ、幸福な生活を手に入れたはずの主人公のもとに捨て去ったはずの過去の象徴である島本さんとイズミが現れます。
主人公が現在出会っている島本さんは、生きておらず幽霊です。しかし、全く実体のない幽霊ではなく、空っぽになったイズミに島本さんの幽霊がとりついている状態なのだと思われます。主人公が会っている島本さんは、現実の島本さんではなく、島本さんの姿(と主人公には見える)をしたイズミです。島本さんの姿をしたイズミと主人公が結ばれることによって、イズミは主人公に復讐します。
イズミの色彩は赤で、島本さんの色彩は青です。小説の中で赤の色彩の女性に何度か主人公は出会うことになりますが、その中の何人かは、実はイズミなのだと思われます。しかし、主人公はそれがイズミであることに気がつきません。主人公は生活の中で、一種の幻覚を見ている状態にあります。そして、ずっとイズミは主人公のことを見ていたのです。イズミが、島本さんとして主人公の前に現れるときは青の服を着て現れます。
赤の色彩の女性についてですが、まず、会社に入って2年目の年に、脚の悪い女の子とダブル・デートをしています。彼女は赤いタートルネックのセーターを着ています。しかし、この女性はおそらくイズミではないでしょう。といいますか、小説上この女性がなぜ現れたのかよく分かりません。主人公にあったかも知れない可能性のひとつとして現れたということなのでしょうか。
次に28歳のときに主人公は渋谷で島本さんらしい女性を見かけ、その後を追いかけます。彼女は赤い長めのオーヴァーコートを着ています。彼女は島本さんの姿(と主人公には見える)をしたイズミだと思われます。
男から渡された10万円の消失は、実際には主人公の幻覚が、28歳の頃からはじまっていたということになります。10万円が消失したことによって、今まで主人公が見ていた島本さんは、現実世界の人ではなかったことが明らかになります。
また、主人公は時々メルセデス260Eに乗った赤いカシミアのコートを着た女性と世間話をするようになります。彼女もおそらくイズミなのでしょう。そうでないと、なんで彼女がこの小説に出てくるのか不明です。(実際には、彼女の正体はこの小説の描写だけでは不明で確定できません。)そうやって、イズミはいろいろな機会をとらえ、主人公のことを見ていたのです。
最後にタクシーの中で表情を失ったイズミと主人公は出会いますが、その直前に見かけた島本さんによく似た女性もやはりイズミということになるのでしょう。彼女は青いコットンのズボンにベージュのレインコートを着ていますが。これが、主人公が島本さん(らしい女性)を見る最後になります。
箱根の別荘へ2人で行くときに島本さんの幽霊(イズミ)は、主人公に死ぬか、生きるかを問います。そして、主人公は島本さん(死)を選んだはずでした。しかし、箱根のカーブで2人は心中することなく、主人公は死なずに生き続けます。主人公を生き延びさせたのは何なのか。
それは、有紀子であり2人の娘であり、現実世界の繋がりという話になるのでしょうが、ただ、この小説の描写は死の世界の力が強すぎ、主人公が死の世界へ魅せられてしまっているので、普通に考えれば心中まっしぐらだという展開が自然です。少なくとも箱根のシーンの描写だけみるとその結末へ妨げるものはないように見えます。その後いろいろ描写されていますが、それは主人公が決断した後の話ですから、後付けの話ということになってしまい正直どうなのかなと思います。この小説は中途半端です。一の至高体験を求めてそれを選んだら、その代償は必要なはずなのです。この小説には続きがあるはずです。
なぜ、この小説に続きがないかというと、結局この小説が「ねじまき鳥クロニクル」を執筆した第1稿を推敲する際に削った部分が元になっており、そこに加筆する形で書かれているためでしょう。この続きにあたる部分は「ねじまき鳥クロニクル」のストーリーの中に回収されてしまっているのです。
客観的にみれば、主人公が未来に破滅する要素は既にばらまかれています。主人公は義父の裏金のために幽霊会社の名義人になったり、株の不正操作に関わったりしています。(すぐに売ればいいというものではなく、履歴にしっかり残っています。)おそらく近い未来、バブルの崩壊をきっかけに義父のやっていた危ないやりくりは破綻し、義父は破滅します。義父の巻き添えを食らって、彼ら一家も社会的に破滅するのでしょう。この小説が終わるのは1988年だと思いますので、まだ数年の猶予がありますが。
しかし、これは主人公が島本さんを選んだ代償とはまた別の話です。
この小説が刊行されたのは1992年10月です。いつバブルが崩壊したのかということですが、経済的な指標からいうと1989年が既にピークで、1990年3月の不動産総量規制が境目とされるのですが、実際には1991年は世間的にはまだ景気が良い雰囲気だったと思います。様子がおかしくなってきたのは1992年あたりからで、バブル景気のまさに泡沫の夢のようなジャズ・バーを経営する主人公は、バブルとともに消え去る運命であるかのように感じます。
うろ覚えなのですが、村上春樹はインタビューで、最後の「誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。」の「誰か」は「島本さん」かもしれないと書いていたような気がします。(すいません、検索したのですが原典らしいものがわかりませんでした。このため、確かな文章がわかりません。)私は、はじめにこの小説を読んだときこの「誰か」とは普通に有紀子だと思っていたのですが、読み返してみて「誰か」とは「イズミ」なのではないかと思いました。この時点では「島本さん」は、この小説からもう消えてしまっているような気がします。
は、この「誰か」が「イズミ」であると仮定した場合のこの小説の「続き」について検討したいと思います。
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「ダンス・ダンス・ダンス」書評 目次
「ダンス・ダンス・ダンス」書評~⑦ ユミヨシさん
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この結末はありきたりであまり評判が良くないようです。他のエキセントリックな登場人物たちと比べてユミヨシさんは普通の人ですし、ハッピーエンドは概して退屈なものです。しかし、主人公がちゃんと現実世界に帰還して、自分を取り戻したことを示すためにはこの結末以外はないでしょう。
私はユミヨシさん、けっこう好きですけどね。「登山教室だって。ははは」のところとか。
これで、「ダンス・ダンス・ダンス」の書評を終えます。次回は「国境の南、太陽の西」の書評の予定です。
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「ダンス・ダンス・ダンス」書評~⑥ 誰かが僕のために泣いている
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主人公が過去に失っていきた人達が、彼のために泣いています。それは、鼠であり、直子であり、キキであり、これまでの人生で主人公が失い続けた全ての人達です。
主人公は一度現実世界で彼らを失い、幻想世界で彼らと邂逅してきましたが、幻想世界を失うことで再び彼らを失います。彼らを失うことで、主人公は再び傷つきます。主人公が傷つくことを悲しんで、彼らは泣きます。しかし、主人公が、自分自身を取り戻し現実世界に戻るためには、この痛みを引き受けなければいけません。主人公自身が幻想世界を閉じるので、彼は泣くことができません。泣くことができない主人公のために、彼らは泣きます。
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「ダンス・ダンス・ダンス」書評~⑤ 残りのひとつの人骨は?
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残りのひとつの人骨は誰なのでしょうか?
結論から言ってしまえば、「羊男」なのですが、ここに至るまで紆余曲折があります。
この残りのひとつの人骨は、五反田君の暴走が続けば、もうひとり誰かが死んでいたという意味だったのです。それは可能性世界の話ですので、「誰でも」よかったのです。
それは、主人公が心配したとおりユミヨシさんだったのかもしれないし、ユキだったのかもしれないし、主人公自身だったのかもしれませんでした。
私はこの中で一番可能性が高かったのは、ユミヨシさんではなく、ユキだったと思います。というのは、ユキは「根源的な悪」である、犯人を見破った人間だからです。「根源的な悪」としては、本当は真っ先に始末すべき人間だったでしょう。
主人公がうまく五反田君と訣別ができなかった場合、ユキは五反田君に殺されていた可能性が高いと思われます。主人公は五反田君とつらくとも訣別する必要がありました。そうしないと「根源的な悪」による犠牲者が、確実に一人また増えていました。
五反田君が死に、「根源的な悪」の存在も(一時的ではありますが)消えました。(「根源的な悪」は普遍的な存在で不死ですので、一時的に消えてもまた現れます。)これによって、誰かが殺される可能性は(短期的には)なくなりました。
残りひとつの人骨の役は「羊男」が引き受けます。彼は主人公の「幻想世界=異界」の管理人です。羊男が残されたひとつの人骨の役を引き受け消滅することによって、現実世界の他の人間の死の可能性を打ち消します。これは「羊男」が生贄の役を引き受けたということです。
これは主人公の「幻想世界」の死を示します。彼は、自分の幻想世界を失うことによって、現実世界に戻り自分を取り戻します。幻想世界の喪失による自己の回復というのがこの小説のテーマであり、喪失の痛みとともに主人公は現実世界へ戻ります。
この小説の結論は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とは真逆の結論になります。これはどちらが正しいという話ではありません。どちらの結論も正しいのです。「現実世界で生き延びることができる」のなら、どちらの選択枝も許されています。人には、どちらの世界を選ぶかを自分の意思で選択する「自由」があります。
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